2015年11月4日水曜日

免疫力を高めるポイント


114日 

いろいろな記事をクリップするが、免疫力アップの記事があったのでメモとして載せておきたい。様々な病気に対して、免疫力を高めることは、とても重要です。どんなことが免疫力アップにつながるのか・・・

 

【免疫力をアップするのに必要なこと】

・腸をきれいにする(免疫細胞の6割は腸にある)

・体温を36度後半にする(体温が高いと免疫力が高まるし、ガンは熱に弱い)

・ビタミンやミネラル群を多くとり、油や乳製品・肉類を控える食事

(なるべく身体の酸化を防ぐ)

・血行をよくする(免疫を支配しているリンパ液は筋肉を動かさないと機能しない)

・身体を休める(ガンは夜行性。22時から4時は身体を温かくして休む)

・楽天的に考える(ガンと闘うのは自分と闘うようなもの。共存できればいいや、と気楽に考える。くよくよしない。「ガン細胞が広がらない一日」を続ければ、5年でも10年でも大丈夫!と信じる。元気なガン経験者に会って話を聞くと気が楽になる)

 ・イメージする(自分の細胞が変異したガンを反抗期の子供だと思って、「そのうち元のいい細胞に戻るよね」とガンに言い聞かせる)

 

免疫力を高い状態でキープするための、具体的にやったことについて

【実践内容】

<腸をきれいにする>

・朝のにんじんジュース(毎朝、作りたてを飲む)

・乳酸菌や発酵食品を摂取

・玄麻黄枇糖(げんまおびとう)というおやつを食べる

・免疫力アップの食事

(玄米・魚・野菜。お肉は週一で鳥肉または卵。白砂糖と乳製品はNG。野菜・海藻・豆類をまんべんなく摂る)

・ガンに直接働きかける(主に寝る前)

・レモン(ビタミンC)摂取

・ビワの葉っぱを患部に貼ってその上からこんにゃく温湿布

・漢方を飲む

 

<体温を上げる(血行をよくする)>

・入浴

30分の散歩

・足つぼマッサージやストレッチやスクワット

 

<その他>

・笑う(作り笑いでも)

・生命力あふれる小さい子どもと遊ぶ

・ストレスをためない(いやな事はしない)

 

食事は130品目以上の食材摂取が目標で、朝おきて、ジュースを作り、飲み、それから3食もつくって食べて、散歩して、笑って、入浴して、湿布して、布団を温めて、レモンを飲んで寝る。しかも早く寝る。

 

準備の時間も考えると、とても忙しそうなので、全部こなすのは相当大変じゃないかと思ったら、できたかどうかをチェックするシートを作って、毎日1日の終わりか翌朝に書いていくのが良い。

 



 

2015年11月3日火曜日

手塚治虫と古希の祝い


 


 11月3日は、文化の日だ。例年通り美しく晴れた。
昨日は両親の「古希」の祝いを行った。と言っても1ヶ月前に行う予定だったの話だが、先の体調不良により本日となった。

 両親が元気でいられること、家族と過ごせること、私を産んで育ててくれたこと、いろんな感謝の気持ちが湧き上がるが、素直に感謝の気持ちは言葉に出来ない。思考や仕事への姿勢などは、やはり父母ゆずりなのかもしれない。両親の子供でよかったと最近感じる。
 
 
また11月3日は、漫画家、手塚治虫さんの誕生日である。
兵庫県宝塚市で生まれ育った手塚さんの幼少期は、自然の素晴らしさを学ぶ中で、戦争への道を歩む社会のまっただ中であり、青春期は戦時中であった。

私が中学3年から高校にかけて読んだ「アドルフに告ぐ」が強烈に自分の人生を変えた。
 
 
 
今、読んでみるとサラリと読めるのであるが、私は以下のセリフで何故か大きなショックと意識が変わったのだ。
 
 
 
 
「おれの人生はいったいなんだったのだろう?あちこちの国と正義というやつにつきあって、そして何かも失った・・・。肉親も友情もおれ自身までおれは愚かな人間なんだ。だが愚かな人間がゴマンといるから、国は正義をふりかざせるんだろうな。」
(アドルフに告ぐ:第5p233より)


これ以降、なぜだか地球のために何かしたいと初めて思い始めた。
高校の時に登った広島県のある山(忘れてしまった)で「地球のための仕事をさせて下さい」と漠然に祈ったのを覚えている(夢かもしれないけど・・・)
 

 

高校の時、小遣いを手塚作品につぎ込んでほとんどの作品を読んだ。その知見の広さには頭が下がった。自分もこうなりたいな~と思う初めての大人の姿だったかの知れない。
 
手塚漫画にある「締め切り」の奮闘場面は、社会人になって自分も幾度と無く体験し、そのたびに漫画の一コマを思い出していた。

 
今は社会が大きく変わる時代である。
手塚作品の読み方も大きく変わるだろう。でもその普遍的な「生命」というテーマは、今後も変わることがないと思う。

今回の病も長引き、久しぶりに「生命」への思いを馳せた。
「病」はお知らせともいう。
じっくりその意味と変化への準備をしていこうと考えている。





2015年11月2日月曜日

人工林の自然林なのだ


 昨日、111日は色々のことが始まった日である。その中、1920年の「明治神宮創建」が目に入った。明治神宮は、御存知の通り「明治天皇、昭憲皇太后」を祀る神社で今ではと都心の緑のオアシスです。もともと明治神宮が出来る前は、皇室の所有地でほとんど畑の荒れ地のような景観だったようです。



この荒れ地を「永遠の森」とした計画のもと、大正4年から造営工事が
 
始まり、多くの木(約10万本)が奉献され、延べ約11万人の勤労奉仕により植林することによって、代々木の杜が誕生しました。

 東京の気候にそぐわない種類もあり、現在では234種類の樹木からなり、今や東京ドーム15個分の林となりました。中に入ると木々は整然としており、土は腐葉土でふかふかのクッションのようになっており、人工にもかかわらず豊かな自然林に成長しました。

 

神社という性格もそうですが、人が愛情と的確な手入れすることで100年内に森は豊かになるのだなという例を示しています。日本は山林が豊かですが、豊かな森はどれくらいあるものでしょうか?
林業に携わる方々は、100年~200年先の姿を描きながら山とともに生活しています。
頭が下がるお仕事です。
 
私は地質調査で山に入り、道無き道を行き、何度も木々に救われました。
どんな山でもちゃんと風格のある木は存在します。

そんな木々に出会える機会を得ること、自然に感謝。
ありがとうございます。





 

H27年11月のうたうたいやライブ情報

体調回復してきたので、まずはうたうたいやの活動からです(^^)
大丈夫!
元気をみんなに届けるのさ!

11月のライブ予定です。
今月は無理なく楽しく音を奏でる楽しさを深く感じたいです。
11月7日(土)くるめ街角音楽祭
http://kuruon.jp/festival/
11/7と11/8の秋、福岡県久留米市内が音楽に溢れます。楽しい時間を過ごして下さい。
<うたうたいや出演時間>
11月7日(土)13:00~13:30 青木繁旧邸
美術の教科書でよく見る現代絵画を多く生み出した青木繁さんのふるさとの家でのライブですよ



11月11日(水)磐井の会(詳細未定)


11月14日(土) くれたけ荘 ライブ
北九州市の介護施設でのライブです(^^)

11月15日(日) 猫屋通り市場 ライブ出演
マルシェに行こう!物だけじゃ足りない気持ちになったら、マルシェに行こう。おひさまの下で、森の中で、川の歌で散歩しよう(^^)
場所:福岡県那珂川町大字市ノ瀬 中ノ島公園横広場
<マルシェ時間> 10:00~17:00
<ライブ時間>  14:00~16:30  出演:オザキユミ・うたうたいや

晩秋を穏やかに楽しみましょう~!
 




合わせて2016年の出演依頼もお待ちしてます!
地元のお祭やイベントに!!
どうぞよろしくお願いいたします!!
今日も素晴らしい一日を!



うたうたいや拝







 

2015年11月1日日曜日

健康はありがたい!


111

 本日より11月が始まった。10月は肺炎を患い、全ての予定はキャンセルし、仕事も1週間程度しかできなかった。それでも今後のことを考えると、ここで無理するよりもう一度身体を整えようと務めた。お陰様でなんとか回復してある程度元気になり、このような記事も書くことができる。健康は本当にありがたい。家族は本当にありがたい。そんな1ヶ月だった。
 多くの方々に御迷惑をお掛けした。それでもみなさん心配してくださり、本当にその御心遣いには感謝しかない。改めまして、ありがとうございました。
 


 事の発端は、921日の夜中3:45から始まった喘息である。いつもなら手持ちの吸引器を使えばある程度治まるものだが、今回はそうはいかない。胸がわさわさして、酸素が足りなくて、思考ができなくなる。それが922日になってもひどいので、午後から救急病院へ行く。咳はある程度収まるが、まだ朝方は寝られなかった。この間、ほとんど食事はできなかった。923日の未明から24日まで発熱し、25日には熱が下がったので仕事をした。 


再度、926日夜から高熱が出てうなされる日々が続く。929日、世間は福山雅治結婚で衝撃を受ける中、私は「肺炎」で入院か療養の診断を受け衝撃を受けた。この辺りで10月前半のライブのほとんどは辞退した。102日まで病院で点滴を受け療養する。熱がないときは、歌以外の所要は時間を見つけ行っていた。104日には熱は下がったものの、またも朝方喘息が発症した。それでも106日には落ち着いたので仕事に出た。1010日の「地球愛祭り2015in大阪」はなんとか出演出来た。家族や色々な方のサポートがあってのことだ。本当にありがたい。それ以降も体を休めながら仕事をする。


 それでも1015日の午後からまたも高熱でうなされる。次の日「肺炎」の再発で病院を変える。1019日に再検査し概ねの状況は把握する。徹底的に休まないとならない。「急がばまわれ・・・」と言葉が浮かぶ。これからのことを考えるとそれが最善だろうと思い、10月後半の仕事、ライブを全て辞退する。こんなことは初めてだが、「ここまでしないとわからないだろう!?」という身体の教えなのかもしれない。1023日に肺炎は収束傾向にあり、ここから東洋の漢方に切り替えた。免疫力が格段に低下しており、これが舌に現れていた。身体は随分楽になったが、体力も奪われており疲れやすい。それでも1026日は、何も考えずに咳も熱もない久しぶりの穏やかな睡眠だった。この日を境にやっと思考が戻ってきた。

 
 1030日頃からやっと普通に生活できるようになる。本当に健康はありがたい。昨日は「よくがんばったね」と地元の花火が打ち上がった!美しい光景だった。
 思考が戻ったところで、この反省を振り返り、生活の仕方を家族で再考しようと思った。そんな11月の始まりだった。

 
 いろんなご配慮に 心より感謝いたします。ありがとうございます。