11月1日
本日より11月が始まった。10月は肺炎を患い、全ての予定はキャンセルし、仕事も1週間程度しかできなかった。それでも今後のことを考えると、ここで無理するよりもう一度身体を整えようと務めた。お陰様でなんとか回復してある程度元気になり、このような記事も書くことができる。健康は本当にありがたい。家族は本当にありがたい。そんな1ヶ月だった。
多くの方々に御迷惑をお掛けした。それでもみなさん心配してくださり、本当にその御心遣いには感謝しかない。改めまして、ありがとうございました。
事の発端は、9月21日の夜中3:45から始まった喘息である。いつもなら手持ちの吸引器を使えばある程度治まるものだが、今回はそうはいかない。胸がわさわさして、酸素が足りなくて、思考ができなくなる。それが9月22日になってもひどいので、午後から救急病院へ行く。咳はある程度収まるが、まだ朝方は寝られなかった。この間、ほとんど食事はできなかった。9月23日の未明から24日まで発熱し、25日には熱が下がったので仕事をした。
再度、9月26日夜から高熱が出てうなされる日々が続く。9月29日、世間は福山雅治結婚で衝撃を受ける中、私は「肺炎」で入院か療養の診断を受け衝撃を受けた。この辺りで10月前半のライブのほとんどは辞退した。10月2日まで病院で点滴を受け療養する。熱がないときは、歌以外の所要は時間を見つけ行っていた。10月4日には熱は下がったものの、またも朝方喘息が発症した。それでも10月6日には落ち着いたので仕事に出た。10月10日の「地球愛祭り2015in大阪」はなんとか出演出来た。家族や色々な方のサポートがあってのことだ。本当にありがたい。それ以降も体を休めながら仕事をする。
それでも10月15日の午後からまたも高熱でうなされる。次の日「肺炎」の再発で病院を変える。10月19日に再検査し概ねの状況は把握する。徹底的に休まないとならない。「急がばまわれ・・・」と言葉が浮かぶ。これからのことを考えるとそれが最善だろうと思い、10月後半の仕事、ライブを全て辞退する。こんなことは初めてだが、「ここまでしないとわからないだろう!?」という身体の教えなのかもしれない。10月23日に肺炎は収束傾向にあり、ここから東洋の漢方に切り替えた。免疫力が格段に低下しており、これが舌に現れていた。身体は随分楽になったが、体力も奪われており疲れやすい。それでも10月26日は、何も考えずに咳も熱もない久しぶりの穏やかな睡眠だった。この日を境にやっと思考が戻ってきた。
10月30日頃からやっと普通に生活できるようになる。本当に健康はありがたい。昨日は「よくがんばったね」と地元の花火が打ち上がった!美しい光景だった。
思考が戻ったところで、この反省を振り返り、生活の仕方を家族で再考しようと思った。そんな11月の始まりだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿
読んでいただきありがとうございます。
ご意見・ご感想はこちらにどうぞ。