11月3日は、文化の日だ。例年通り美しく晴れた。
昨日は両親の「古希」の祝いを行った。と言っても1ヶ月前に行う予定だったの話だが、先の体調不良により本日となった。
両親が元気でいられること、家族と過ごせること、私を産んで育ててくれたこと、いろんな感謝の気持ちが湧き上がるが、素直に感謝の気持ちは言葉に出来ない。思考や仕事への姿勢などは、やはり父母ゆずりなのかもしれない。両親の子供でよかったと最近感じる。
また11月3日は、漫画家、手塚治虫さんの誕生日である。兵庫県宝塚市で生まれ育った手塚さんの幼少期は、自然の素晴らしさを学ぶ中で、戦争への道を歩む社会のまっただ中であり、青春期は戦時中であった。
私が中学3年から高校にかけて読んだ「アドルフに告ぐ」が強烈に自分の人生を変えた。
今、読んでみるとサラリと読めるのであるが、私は以下のセリフで何故か大きなショックと意識が変わったのだ。
「おれの人生はいったいなんだったのだろう?あちこちの国と正義というやつにつきあって、そして何かも失った・・・。肉親も…友情も…おれ自身まで…おれは愚かな人間なんだ。だが愚かな人間がゴマンといるから、国は正義をふりかざせるんだろうな。」
(アドルフに告ぐ:第5巻p233より)これ以降、なぜだか地球のために何かしたいと初めて思い始めた。
高校の時に登った広島県のある山(忘れてしまった)で「地球のための仕事をさせて下さい」と漠然に祈ったのを覚えている(夢かもしれないけど・・・)
高校の時、小遣いを手塚作品につぎ込んでほとんどの作品を読んだ。その知見の広さには頭が下がった。自分もこうなりたいな~と思う初めての大人の姿だったかの知れない。
手塚漫画にある「締め切り」の奮闘場面は、社会人になって自分も幾度と無く体験し、そのたびに漫画の一コマを思い出していた。
今は社会が大きく変わる時代である。
手塚作品の読み方も大きく変わるだろう。でもその普遍的な「生命」というテーマは、今後も変わることがないと思う。
今回の病も長引き、久しぶりに「生命」への思いを馳せた。
「病」はお知らせともいう。
じっくりその意味と変化への準備をしていこうと考えている。