土偶は、現在でこそ「縄文時代」の遺跡出土品として扱われています。
しかし、戦前は異なっていました。
戦前(太平洋戦争前)の日本の歴史は「日本書紀」「古事記」にあるような記述が主体で、古墳時代の「埴輪」が先史時代の代表とされていました。
縄文や弥生時代の遺跡が、日本の先史時代のものと捉えられたのは、アメリカの占領の終わった1952年以降のようです。
時代も変われば解釈も変わるのです。
これはいつの時代も変わらないのでしょうか(^^)
時代も変われば解釈も変わるのです。
これはいつの時代も変わらないのでしょうか(^^)
それでも戦前に土偶を海外(フランス)に紹介した人物もいます。
中谷治宇二郎(なかやじうじろう)という方で、本来は哲学を学んでいたらしいのですが、パリで自然科学者を学ぶ兄を追ってパリに渡り、自然科学と考古学に探求し、土偶を紹介する論文をフランス語で執筆したのです。
考古学者中谷治宇二郎の記録
中谷治宇二郎(なかやじうじろう)という方で、本来は哲学を学んでいたらしいのですが、パリで自然科学者を学ぶ兄を追ってパリに渡り、自然科学と考古学に探求し、土偶を紹介する論文をフランス語で執筆したのです。
考古学者中谷治宇二郎の記録
その論文は広く読まれ、学者や芸術家に影響を与えました。
その一人が当時パリに留学していた岡本太郎です。岡本太郎の縄文時代への情熱と貢献はみなさまの知るところですね。
また、小説家の川端康成も縄文土偶に魅了され、ハート型土偶を所有していました。
川端康成の穏やかな表情の写真は、ハート形土偶との写真と吉永小百合と写った写真と言われています。ホンマかいな?
「この土偶の顔を見ていると、実にいろいろな感じが湧いて、尽きることがない。横からの形も面白いし、後ろからの形も面白い。現代の前衛彫刻を思わせるやうなところはあるが、どの角度から見ても、わざとらしさや破綻はない。みごとである。」
(川端康成談)
いずれにしても縄文というキーワードは、ここ50年で急速に広まり、今や世界にその影響を及ぼそうとしています。
「1万年以上も人々が平和で暮らしていた」というキーワードは、もうすぐ解き明かされていくのでしょう。
楽しみでならないのです。
「1万年以上も人々が平和で暮らしていた」というキーワードは、もうすぐ解き明かされていくのでしょう。
楽しみでならないのです。
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