2016年4月2日土曜日

ボタ山再生


炭坑の近くには、「ボタ」と呼ばれるズリ山があります。九州の以外の方は、あまり聞き慣れない名前だと思います。
 

※ボタ山とは・・・

鉱山で採掘された鉱石のうち、資源として使えず廃棄する岩石などの部分を捨石、俗称でズリという。このズリは特定の場所に集められて捨てられるが、長年にわたり捨て続けているうちにズリは積み上げられてゆき、やがて山ができてくる。こうしてできた山をズリ山という。九州の炭坑では、このズリはボタと呼ばれ、ズリ山はボタ山と呼ばれた。したがって、ボタ山という言葉は、ズリ山のうち九州の炭鉱において発生したものに対して用いられる言葉。(転写・編集終了)

 
この山が現在どんな植生に覆われているのかと思っていた時に行くことができました。

炭坑跡も幾つかあり、操業中に谷や平坦地を岩砕等のズリの埋立てやボタ山等で地形が変わり、その後の道路整備などでさらに地形が変わっていました。
 
炭坑操業前の元の地形と埋立て地形の境界を考えるのに、山の状態、転石、地下水などの湧水状況が役にたちましたが、植生が凄く分かりやすかったです。

 
ボタ山などの埋立て地形の植生は粗(木々がまだら)で、元の地形の植生は密(木々が密)でした。何よりもクスノキの大木の分布で、境界を詳細に把握できました。
 
ボタ山の植生 木がまばらです
 
元の地山の植生 木々が密にバランスよく生えています。
 
 

ボタ山の植生は、まだまだ木々が粗で、表面が非常に崩れやすいのでなかなか植生が発達していません。それでもクスノキ等の成長の早い木々が根を豪快に張り、風にも負けずに成長しておりました。斜面が崩れやすいので倒れている木々もありましたが、また生えて成長し、しっかりと根を張っていました。

 
 
クスノキは調べてみると、成長が早い上に寿命が長く、枝に柔軟性もあり大木であっても風に強いそうです。各地の神社などに大木が残り「御神木」となることも多いのも納得です。また病害虫にかなり強い。でもアオスジアゲハの幼虫は、この葉を好んで食べるそうです。 クスノキの分布域とアオスジアゲハの分布域は、西日本中心で納得しました。

 このボタ山周辺にはムクドリもいました。ムクドリは森を育てる鳥とも言われているそうで、沢山の鳥たちが種を運んでいるようです。まだまだ、土壌の再生までは行かないようが、木々は根を張り鹿、イノシシ、イタチも近くに生息しているようです。
周辺には色々な大木(名前がわからない・・・)も多く、本当に心地良い空間でした。

 
確実に裸だったボタ山は緑を取り戻しつつあります。その過程を見せて頂きました。どんなに失敗してもコツコツとやり続けることの大切さも学びました。

 

2016年4月1日金曜日

炭鉱跡


新しい月になった。

今年は年始からよく働いた。年度が終わり、少し一息。

 

色々な現場に行かせて頂きましたが、年始からの共通していたのは「炭坑跡」でした。

朝ドラのあさちゃんもそうでしたが、明治から石油に代わるまで主役だった石炭。昭和40から50年代まで頑張って操業しておりました。

 

当時の炭鉱夫は、命がけですので当時の金額で約30万、光熱費・医療費・住宅費はタダだったそうです。

 

そんな炭坑も操業停止すれば、穴だけが残ります。小規模な炭鉱は人も入れませんし、どこをどう掘っているのかわからないのです。長年ほっておくと崩れる場合もあります。だから時々陥没が起きたりします。地下水も炭坑があるなしでは、流れも水質も変わります。

 

「水は高い所から低い所へ流れる」

 

人にも当てはまることですが、それは置いといて^_^

山に穴が開けられると、地下水はそこに引き込まれます。すると周りの水環境も変わります。地下水の水位変わります。

素直な流れでないので、調べる方は頭をひねりますが、自然は素直な動きをその環境に合わせた見事な姿を見せてくれます。

 

地元の方々は、その炭坑の水を水源として利用します。

水質的に問題もある場合もありますが、みなさん有効利用しているのが、素晴らしい。

そうまでしないと水が無いという場所もあります。

 

こんな感じで人が乱した環境に自然が合わせて、また人がそれを活用する。

今までを活かしながら、変えていくのが自然なのかもしれないと感じました。

 

ちなみに炭鉱跡の穴から、ピチャピチャという足音とブヒブヒという鳴き声・・・

イノシシがネグラとして使っておりました(^^)